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集団のダークサイド




いわゆる「コロナ禍」から抜け出せないまま1年以上が絶ちましたが、感染収束の「切り札」と言われるワクチン接種がいよいよ始まり、期待が大きくなっています。 遅れが懸念されているようですが、順調にいくように祈るばかりです。

このコロナ禍を通して、私たちは苦悩もしましたが、一方では色々なことに気がつき、再認識もしたと思います。

人と組織の問題を取り扱ってきた私の立場では、集団のダークサイドを再認識させられたことが大きいように思います。

ダークサイドというのは、何事にもメリットとデメリットの両面があるわけですが、集団というもののデメリットのことを言います。


言うまでもなく、人間は一人ひとりはとても弱い生き物であり、家族→集落→国という集団が力を持ってきた歴史があります。途中から「生産活動を集団でする「企業」というものが生まれ、独特の組織論も展開されてきました。

集まることによって生まれたポジティブな力を「組織力」と言いますが、人が集まることによるデメリットもあるということですね。 思い浮かぶ言葉は「集団圧力」「集団浅慮」「集団凝集性」の3つです。

今回は長くなりますので、「集団圧力」「集団浅慮」の2つについて考えてみます。




【 集団圧力(同調圧力)について 】


ひとつ目の「集団圧力(同調圧力)」は、この頃一般的にもよく使われているようですね。

「組織において、意思決定、合意形成を行う際に、少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に合わせるように誘導すること」を指します。

「誘導」という言葉が使われていますが、誰かが意図的に誘導するということでなく、「暗黙のうちに」とあるように、その場の空気感や、雰囲気から、「そうせざるをえない」という無言の圧力を感じるという厄介なものなんですね。


この言葉を連想したのは、コロナ禍においては「自粛警察」のニュースを見た時でした。

政府や自治体の「営業自粛要請」が出ている中で営業している飲食店などに、「皆が自粛している時に自分だけ営業しているのは不公平だ」「勝手に営業している店から感染者が広まったら迷惑だ」ということで、何の権限もない民間人が半ば嫌がらせ行為に走っているニュースに触れて、暗澹たる気持ちになった方も多かったことと思います。

私の知り合いの飲食店さんの中には、政府の感染予防の方針に納得がいかず、あくまでも自粛要請なので、と主義主張を持って営業しようと言っていたものの、あの「自粛警察」のニュースに触れて休業に切り替えた方もおられました。


日本人は集団主義的で同調圧力の高い国民性を有しているということは、以前から言われていることですね。

よく知られたジョークに、「転覆しかけた船から海へ飛び込むのをためらう人に対して、国ごとにどういう声をかけたら飛び込んでもらえるか」というものがありますね。

アメリカ人に対して・・・「飛び込めばヒーローになれますよ」

ロシア人に対して・・・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」

イタリア人に対して・・・「海で美女が泳いでいますよ」

フランス人に対して・・・「決して海には飛び込まないでください」

イギリス人に対して・・・「紳士はこういう時に海に飛び込むものです」

ドイツ人に対して・・・・ 「規則ですので海に飛び込んでください」

中国人に対して・・・・・「おいしい食材(魚)が泳いでますよ」 日本人に対して・・・・・「みなさんはもう飛び込みましたよ」

というものがありますね。

これは本当によくできたジョークだと思います。


ちなみに、これには続きが3つあるんだそうです。

韓国人に対して・・・・ 「日本人はもう飛び込みましたよ」

北朝鮮人に対して・・・ 「今が亡命のチャンスです」

関西人に対して・・・・ 「阪神が優勝しましたよ」

すごい、ダメ押しジョークですね。

「関西人」は、誰が付け足したのか存じませんが、素晴らしいセンスです。



さて、ジョークの話が長すぎましたが、そのように言われるぐらい「集団圧力(同調圧力)」の傾向はあるということですね。これが人が集まる集団・組織のデメリットのひとつ目です。

諸外国と違って日本は法律の縛りではなく、あくまでも「営業自粛要請」「不要不急の外出自粛要請」でしたが、それでも法律と縛りと同等かそれ以上に、整然と守りますし、守らない者がいても相互監視が法律と同等の役目を果たしているわけです。

これは世間の空気を読む国民性と集団の同調圧力による相互監視(自粛警察)がなせる業というわけです。


この「空気を読む」「集団圧力(同調圧力)」は、企業組織の中でも同様に起こっており、会議などでも異論を唱えてはいけない空気感がただよっていたり、日常的に自由な発言もしにくいという空気が漂っている職場も少なくないのが現状です。



【「集団浅慮」について 】


コロナ禍において、最もストレスを生んでいたことは、政府の打ち出す施策への納得感が低い(ない)ことでした。

政府が感染対策を打ち出すに当たって、判で押したように「専門家に相談して」「専門家のご意見を伺って」という言葉を連発していました。

それは大事なことなのでしょうが、その状況が日を追うごとにエスカレートし、政治決断というよりも専門家の意見によって、全てが決まっていっているような印象が前面に出るようになってきました。


記者会見などを聞いていても、対策分科会の会長の方が発言力を持っており、どちらが首相だか分からないように見える有様でした。

一方、ネット上には多くの医師、それこそ専門家の皆さんからの異論、批判が溢れてもいました。

感染症学者の意見は、要は「外出自粛で家にこもっておけ」というものでしたが、同じ医療者でも精神科医や免疫学者の中にはそう考えない人も多くいることが分かりました。

これまで経験したことのない新型ウイルスであり、当然のことながら唯一無二の正しい対応策というものが存在しない以上、選択肢があるのが当然です。


緊急事態宣言を発出し、国民の日常生活に大きな犠牲を強い、経済活動にも制限を加える以上、大元の戦略の決定までの選択肢と、どのような判断で決定した施策なのかを説明をするのは当然のことだと思うのですが、意思決定のプロセスは見えないばかりか、決定された方針と戦略自体の説明もあまりにも中途半端なものであったと思います。

非常事態であり、難しさは理解できるのですが、私の頭に浮かんだのは、組織や集団のダークサイドの二つ目「集団浅慮」という言葉でした。



【 集団浅慮とは? 】


組織・集団の意思決定において、急いで合意形成を図ろうとするあまり、その結論が正しいかどうかを適切に判断・評価する能力が著しく欠如するといった現象が起こります。

その結果、意図せずにより危険性が高い事項を決定してしまうといった現象が生じるのです。

これを「リスキーシフト」と言います。

個人よりも集団の方が高リスクを選択しやすくなるということがあるんですね。


「三人寄れば文殊の知恵」という諺がありますが、それとは逆のことが起こってしまうわけで、集団、組織というのは怖いものだと感じます。


集団でのさまざまなやりとりをしているうちに、参加メンバーの個々人の当初の判断や行動傾向、感情などが、極端な方向に強くなることが高リスクな結論になる原因で、こうした現象を「集団極性化」と言うそうです。

この「集団浅慮」は英語では「グループシンク」と言って、エール大学の心理学者アーヴィング・ジャニスが提唱したものだそうです。

説明が長くなりましたが、このたびの新型コロナウイルスに立ち向かう感染症予防対策分科会や、諮問委員会などにおいても、この「集団浅慮」の現象がおきていたのではないかと予想しています。




【 集団浅慮が起こる要因と対策 】

集団浅慮が起こる要因は大きく3つあるそうです。

① 時間的要因:時間がない時はとにかく決定することが優先されてしまう

②専門家の存在:自分よりもその領域に詳しい人がいるとその人の意見に従って、自分の頭で考えなくなる

③利害関係:何らかの利害関係が発生する場では、自分に有利になるようにしてしまい、内容自体への考えが浅くなる


この3つの要因を見ますと、非常事態で緊急対応が必要な専門家の集まった会議こそが、集団浅慮が起こりがちということになりますね。


集団浅慮が起こらないようにするために、企業組織の場合には次のような対策を取ることを考えます。

・リーダーは、メンバーが多様な意見を発言することを奨励する

・影響力のある人物の意見を重視するのではなく、些細な意見も公平に扱う

・集団をさらに小さな単位に分け、小単位ごとの意見を全体会議に持ち寄る

・わざと批判をする側の役割を作るようにする

・AかBかの議論の時にC案を考える役割を作るようにする

・全員が異なる意見を受け入れるように心がける

・外部からの意見を積極的に取り入れる

・リーダーや立場が上の人が議論のファシリテートを行い(議論そのものに加わらず)、メンバー同士で議論できるようにする


さて、長くなりましたが、今回取り上げた「集団圧力」と「集団浅慮」は、当然のことながら企業組織においても生じる問題です。

組織のリーダーは、今回の「集団圧力」や「集団浅慮」というものの存在を知り、要因を自覚し、対策を具体的に講じて取り組むようにしなければなりません。


冒頭、頭に浮かんだ言葉として「集団圧力」「集団浅慮」「集団凝集性」の3つを上げました。

「集団凝集性」については、また改めて詳しく触れたいと思います。



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